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はじめに
- こんにちは。この度は私、藤田宗一のプロジェクトにご興味を持って頂きありがとうございます。
現役時代の私は場面を問わず、ロッテ、巨人、ソフトバンクで通算13年、チームのために左腕を振り続け、2006年にはWBC日本代表にも選ばれ世界一にも貢献することが出来ました。 -
- そして、私、藤田宗一が今、必要とされていると感じる場所があります。それは日本から遙かかなた東アフリカに位置するケニア共和国です。
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関係記事リンク
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集英社様のWeb「Sportiva」に掲載されました!!
- https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/08/14/2005_split/
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/08/14/___split_152/ -
ケニア野球との出会い
- きっかけは3年前の2017年6月でした。島原中央高校の後輩で、ケニアの代表監督を務める廣谷弥咲氏から国内大会のゲストに招かれました。それは日本のプロ野球で培った技術、経験を練習方法なども含めて伝えてほしいとの依頼でした。廣谷氏は、ボランティア活動でアフリカに渡っていた2015年、ケニアのスポーツ省からのナショナルチームの監督就任オファーを受諾し、同国の野球振興に携わっていました。
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ケニア野球を取り巻く環境
- 現地で私、藤田の目に飛び込んできた光景は、衝撃的でした。きちんと整備されてない野原で、ボロボロの道具を使ってのプレー。それでも純粋に野球を楽しむ姿に心を打たれたました。粗削りながら、彼らの身体能力の高さに底知れぬ可能性を感じ取りました。
〈ナイロビ:壮大な大地での試合風景〉 -
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ケニアマラソン界レジェンドとの出会い
- 1987年の世界陸上の金、1988年のソウル五輪の銀メダルを獲得したダグラス・ワキウリ氏が同大会を観戦に訪れていたのです。ワキウリ氏は19歳でエスビー食品陸上部に入部し、瀬古利彦とともに中村清監督の指導を受けて才能を開花。日本語も流ちょうで、私、藤田もその人柄にほれ込みました。
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- ワキウリ氏と親交を重ね、私はますますケニアに愛着を抱くようになっていきました。以来、日本からボールなどの道具を寄付するなど、同国の野球への支援を個人的に続けて参りました。
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日本での活動
- NPO法人プロ野球47年会では、侍ジャパンの稲葉篤紀監督らと日本全国で野球教室を開催しています。
【活動を共にするNPO法人プロ野球47年会のメンバー】
左から 吉井・藤田・稲葉・木村・西口・奥村・榎・高木・犬伏・武藤(敬称略) -
- しかし、、、恵まれた日本の環境と比較して「ケニアの選手達も環境さえ整えば、飛躍的に成長する。もっと何かできることないのか」の思いは強くなるばかりでした。
集中して練習できる専用グラウンドを作って、打撃マシンやウェートトレーニングの機材を揃えたい。自身も年に数回、現地で野球教室を開催できれば…。
それにはまず、ケニアでも猛威をふるう新型コロナウイルスの感染拡大が収束することも大切です。救命用具やサプリメントの寄付などケニアの人々の命と健康を守る手助けができないかと模索しております。 -
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私の夢
- その先に描く夢もあります。広島がドミニカ共和国で運営するカープアカデミーのような育成機関の創設など、野球インフラの整備。そして、廣谷氏と代表チームを率いてのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)出場。実現すれば、野球の魅力をケニアだけでなくアフリカ全土に伝えられるとの思いがあります。
(私藤田と廣谷氏) -
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「野球への恩返し」という使命を果たすため、私、藤田宗一は今も全力投球を続けています。
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本人からのメッセージ
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プロフィール
- 藤田宗一
京都府八幡市出身の47歳。
1972年10月17日生まれ。
島原中央高校(長崎県島原市)から西濃運輸(岐阜県大垣市)を経て1997
年のドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団。
2006年にはWBCに出場し、王貞治監督のもと世界一を経験。
2008年からは巨人→ソフトバンクを渡り歩いた。
プロ初登板から600試合連続救援登板の当時日本記録を達成したが2011年に
戦力外通告を受け、翌年より独立リーグ群馬ダイヤモンドペガサスに選手兼任
投手コーチ補佐として入団した。
その後、東京・赤坂に焼肉「繁」をオーナーとして開店(現在は閉店)。
野球振興としては、東京都足立区にある足立ベースボールアカデミー(Bring
upアカデミー)にてメインコーチを務める。
また、名球会入りを果たしている現WBC侍ジャパン監督稲葉篤紀や和田一浩
とは同級生でもあり、元読売ジャイアンツの故・木村拓哉氏の意思を継ぎ
「NPO法人プロ野球47年会」の中心的メンバーとしても活躍中。
未来のプロ野球選手を夢見る少年・少女に熱い指導を行っている。
廣谷 弥咲
1990年1月22生まれ。
島原中央高校、大学と野球部に所属をし卒業後プロを目指しクラブチームへ
さらなる高みを目指して渡米し、ウィンターリーグにも参加。
その年愛媛マンダリンパイレーツへ入団。その後、独立リーグで腕を
磨くものの、肩の怪我で現役を引退。父の仕事の関係でケニア大使館の方と
知り合う機会があり、ケニア代表監督の打診を受ける。就任に迷うも、
現地を見学に訪れた際に現地の選手たちとも話をし感銘を受け監督を受諾。
ケニアだけにとどまらず、アフリカに野球を広げ、アフリカからプロ選手の誕生
さらにWBC、オリンピック出場を目指す!! -
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最後に
- この度、このプロジェクトを立ち上げるにあたり、ケニア野球代表監督の廣谷弥咲氏、またお父様の廣谷和信氏にご相談に乗って頂き、プロジェクト計画を立てる事が出来ました。厚く御礼申し上げます。
廣谷和信氏は「ケニアサッカー協会公認エージェント」でありケニアスポーツ界への貢献は多大な実績があり、ケニアスポーツ支援の日本人のパイオニア的存在です。
廣谷和信氏の活動はサッカーだけに留まらず、ケニア陸上連盟公式エージェント、ケニア野球機構強化部長、2021年東京オリンピック.パラリンピックケニアナショナルチーム公認エージェント、国連支援交流協会UPS代表、と幅広くケニアスポーツ界に貢献されております。
この度、このプロジェクトを通じてこの様なご縁を頂き大変感謝しております。 -
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ケニアオリンピック協会ケニアスポーツ省と福岡県久留米市との東京オリンピック事前キャンプ地調印式、ケニアテレビ局共同インタビュー(2020年2月13日)
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藤田氏が足立区で開催するベースボールアカデミーの施設・ 株式会社 フィールドフォースよりのケニア野球応援用品 (写真はフィールドフォース 城内氏)
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